神経科学研究者のブログです。科学、教育などに関する雑多な私見、主張など。
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昨今の学術発表を考える(その1)捕食的?

わたしが研究を始めたころは、論文投稿となると、論文原稿を封筒にいれて、海外郵便で送って、査読結果も郵送で送られてくるというような時代でした。ピアレビューによる査読システムというのも、実はそんなに歴史があるわけではなく、1980年代に確立されたもののようです。そして、インターネットで論文が簡単に公開できるようになって、投稿も査読のやり取りもインターネットで日常的に行われている時代になっています。こういう歴史を知っていると、実は今の学術出版のあり方なんていうのも、刹那的なうつろいゆくものであるということはいつも感じています。いまだに昭和の学術出版のコンセプトに支配されている日本の研究者や官僚ももっと柔軟になるべきではないでしょうか。

 プランSなどとの関係でのオープンアクセス、新型コロナ研究発表でも課題になったプレプリント、更にはもっと最近ではNFT(Non-fungible token)などの話題もあります。今回は「捕食的?」ということ、次回は「学術発表におけるNFTの導入?」ということについて考えてみたいと思います。

 

 

出版社MDPIについて

今回はIJMS(Int. J. Mol. Sci. )という雑誌についての査読について考えてみます。私自身、いくつかの雑誌の編集委員をやっているのですが、去年からこの雑誌の編集委員にもなっています。下にあるようにかんばしくない評判もあるので、最初は乗り気ではなかったのですが、編集委員の中には日本の主要大学の有力研究者も含まれていたので、実際に入り込んで、どんなものか知るという好奇心から関与してみることにしました。編集に関わると全く無料で論文を掲載してもらえるので、ブログのように総説を書くという作業を行うことで加担しています。したがって、このブログはインサイダー的な視点になります。このIJMSという雑誌は、MDPIというスイスの出版社が発行しているオープンアクセス雑誌です。

MDPI日本語のページ

「IJMS、発表」というキーワードで検索してみますと、

https://www.google.com/search?client=safari&rls=en&q=IJMS+%E7%99%BA%E8%A1%A8&ie=UTF-8&oe=UTF-8

「論文がIJMS誌に掲載」「IJMS誌に発表」「IJMS誌に受理」というふうに、嬉しいムードでホームページで掲載されていたり、報道発表をしているケースもあったりします。東京大学や京都大学といった日本トップの研究機関からも多数の発表があるようです。

 一方で、「MDPI(IJMSの出版社)ハゲタカ」「MDPI 怪しい」というような検索もでてきたりします。ネット上でも、MDPIという出版社について、様々な否定的な意見があります。基本的には、オープンアクセス雑誌というのは、発表するとなると有料でそれなりのお金(雑誌によるが、10万円から120万円)を取るという、どれでも捕食的な面がありますから、そういうイメージからくる印象がとても大きいと思います。MDPIの雑誌については、「査読の質」についての疑問も一部ではでていると感じます。

特に総合的にその賛否を議論したものとしては、心理学でありますが、この文章が詳しいです。

また、この英語の文章も詳しいです。

Is MDPI a predatory publisher?

一応、Google自動翻訳で日本語にしておきます。

(下のリンクを利用してみてください。うまく動かないかもしれません。)

これも同様な議論とMDPI側からのコメント。

あと、Twitter上でのいろいろな意見。

 

IJMSという雑誌

さて、分子生物系ですと、MDPIの雑誌で、時々見かけるのは、「Cells」 (Cellではない、インパクトファクターIF 6.6)や「Biomedicines」(IF 6.081)などがあります。

 IJMS(Int. J. Mol. Sci.) もMDPIの持っている基幹雑誌のひとつなのだと思われます。最新のIFは、5.924で、PLoSOneやScientific Reportsといったオープンアクセスのメガジャーナルより高くなっていますし、上昇傾向が続いているようです(下図参考)。かつてはノーベル賞などのきっかけとなった研究も掲載してきたJ. Biol. Chem.やJ. Mol. Biol.といった歴史ある雑誌よりもIFが高いです。更に、オンラインで全文を無料で見れるようにするオープンアクセス掲載料(APC)は、他の雑誌より安価になっているように見えます。ちなみに、バイオ系でプレスリリースされることが多いNature CommunicationやCell Reportsという雑誌は50-70万円くらいのAPCを取っています。

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 さて、IJMSのIFが比較的高いのは、総説が多い(下図参考、35%が総説)からなのかもしれないです。一般に総説は通常の論文(オリジナルデータを中心にした研究論文)と比べ、引用されることが多く、総説誌はIF が高くなる傾向があります。IJMSは、通常の研究論文も掲載する雑誌のなかでは、総説論文の数が非常に多いです。また、Special Issueとして、編集者にトピックを提出させて、論文を収集するのですが(編集者は無料で論文を掲載できるという利点がある)、この領域の選び方がとても嫌らしく、被引用回数の高くなりそうな分野ばかりを中心に集めて、そうでないものは集めないという方針のようです。わたしも引用されないような分野のSpecial issueを提案してみましたが、ダメだと拒否されました。わたしはMDPIと同じスイスを拠点としているFrontiersジャーナルの編集にも関わっていますが、この辺の考え方にMDPIとFrontiersのあり方の違いがよく出ているように感じています。

 インパクトファクターなどというものは、その性質上、いろいろ操作したりすることは可能なものです(IF値のハッキング)。エルゼビアの某有名誌やその関連誌なども、例えばその年の始めに被引用回数が伸びそうな流行分野の著名研究者による総説を積極的に掲載して、インパクトファクターを上げようとしているなどいう編集上の操作があることはよく知られています。IFは個々の論文の評価に結びつけることは極めて危険ですが(わたしはサンフランシスコDORAの署名者です)、雑誌のおよそのレベルを見るにはある程度の意味はあるとは感じています。ただ、最近の中国を中心とする雑誌が異常にIFを高くしているのは、自己引用やコミュニティ内引用といった人海戦術的な現状を反映しているもので、実は見かけだけという印象を受けているのも確かです。

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IJMSは、実は投稿論文の半分以上はリジェクトされているようです。

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一般的な雑誌の査読の過程

ここでは、一般的な科学雑誌で査読がどのように行われているのか、説明しておきます。

一般的に、査読は以下のようにすることが多いと思います。

○査読者の選定

通常の雑誌では、投稿があると、雑誌の編集者(経験ある研究者)が、論文の内容をおおよそ把握した上で、どのような査読者が適切か考えて、査読者を探し、査読を依頼することになります。最近は、データベースを利用した「人工知能」的な方法を使って、査読者を探すことも行われています。雑誌によっては、編集者がより、投稿論文の内容にふさわしい副編集者を選択して、査読者を探すこともあります。Natureなどでは、編集者が経験ある研究者ではなく、PhDといった学位をもった専門編集者になります。ところが、編集者が査読を依頼しても、低プロファイル雑誌では断られることが多く、査読者の選定に時間がかかってしまいがちです。

査読の内容

さて、引き受けた査読者が書く査読の内容は以下のようにするのが標準的でしょう。

  • 論文全体のまとめ(内容を査読者はこう理解したということを示す。アブストラクトのコピペではなく、自分なりにこう理解したとまとめる。)
  • 全体の感想(よく書けているとか、実験デザインはよいとか、素晴らしく重要な研究であるとか、あるいは問題ありとか。投稿した雑誌に掲載するのが相応しい、相応しくないという判断を書くことも。)
  • 全体についてのコメント(全体の結論を導くための論理や実験などについての問題点。結論を補強するために新たな実験を加える必要ありなど、論文の結論に大きく関わるコメント。)
  • 細かなコメント(論文の結論には大きな影響を与えないと思われる細かな指摘。文章表現が不明瞭で誤解しやすい。記述に間違いあり。結果の解釈には別の可能性もあるのでは。統計の方法に疑問あり。実験方法をもっと説明してほしい。こういうデータは存在しないのか。過去にこういう研究があるので引用するべき。タイポ。など)

わたしが、標準的な雑誌の査読をする場合、掲載してもよいと判断したものについては、著者がコメントの7割くらいしっかりと対応できて、あとは限界の説明など(ある意味のいいわけ)で対処できることを想定して行うことが多いです。論文原稿についての難癖というのは、実際のところ、やろうと思えばかなりつけることが可能だと思います。その証拠に高プロファイル誌に投稿すると、たくさん難しいコメントがついて戻されてきますが、低プロファイル誌ですと、そうでもないというのは誰でも経験があるのではないでしょうか。つまり、高プロファイル誌と低プロファイル誌では査読の基準が違います。高プロファイル雑誌の査読は力を入れますが、低プロファイル誌では「これくらい」という気持ちで、科学的な妥当性のみで行うことが多いです。高プロファイル誌では追加実験を要請することがほとんどです(2,3ヶ月以内で可能な実験)。一方、低プロファイル誌では、できるだけ追加の実験を求めず、文章や図の変更、既存データの再解析や限界の説明で対処できるようにします。Nature誌のような超高プロファイル誌になると、一つのコメントで一つの論文になるような量の実験量を要求するようなケースもあります。

 

IJMSの査読の特徴

IJMSを始めとするMDPIの雑誌も査読をやっています。ですから全く査読なしで掲載して金を儲けようとする捕食雑誌というわけではないです。ただ、査読に特徴的な部分があることも確かであると感じます。この独特さは、おそらく、投稿、査読、受理ということを、いかに短期間で行うか、ということで、生み出されてきた手法なのだと思います。

 一般的な雑誌ですと、雑誌の編集者(経験ある研究者)が、論文の内容をおおよそ把握した上で、どのような査読者が適切か考えて、査読者を探し、査読を依頼します。一方、IJMSの場合、雑誌の担当者が、経験や実績ある研究者ではなく(院生レベル?)、ほとんど検討せず、迅速に査読者に回して、査読者もそれを引き受けているという印象です(結局、良い査読者をどのように迅速に見つけるのか、というのが、現在の多くの科学専門雑誌の課題なのだと思います)。その結果、査読者の分野が投稿論文の専門分野とはかなり離れたケースが多く、その質が一般的に低くなります(不完全なピアレビュー)。表面的に読んで、簡単な査読になっているケースが多いようです。また査読の内容も、上に書いたような一般的な作法に従ったものではなく、経験が少ないのか、不十分なものが多いように感じます。

 論文には担当した編集者の氏名(経験ある研究者)が一応掲載されていますが、IJMSの編集者は査読とその後の著者の対応を見て、査読と著者改訂が終わったものとして、あまり深く検討せずに採否を判断することが可能になっています。つまり、査読者を探すところには、経験ある研究者は関与していないのです。こういうことですと、経験ある研究者は事実上、名前を最後に貸すだけという状態になっているのではないか、とさえ感じます。

 つまり、このシステムだと、査読者を探すというプロセスが短期化され、経験ある編集者にも負担がかからなくなります。一方で、査読が薄いものになるので、論文投稿から採択までの時間が短くなり、アクセプトされるのが容易になるのです。こういうやり方が「査読が甘い」という状態になっている主な原因になっていると考えられます。

 いずれにしても、IJMSに関する限り、査読は甘いとみておいた方がよいと思います。しかし、こういうのは雑誌の問題というより、それを利用する研究者側の要望があるからだと考えられます。論文はインパクトファクターがそれなりに高く、掲載料の安い雑誌に、速く楽にアクセプトされるのがよい、という多くの研究者が持っている願望を満たしているのではないでしょうか。

 よくあまり権威主義的な雑誌は査読が厳しすぎたり、査読バイアスがあって、まだ確立されていないようなあまりに新しい事柄、弱小大学の研究者など権威のない人による論文は掲載されにくいということがあると言われています。少なくとも、こういうことがなくて、多少ゆるいものでも掲載できるということが、あえてポジティブに考えれば、利点なのかもしれません。研究の価値は掲載誌で決まるのではなく、出版後の評価(Post-publication peer review (PPPR) )によって決まるべきであるという考えからは、査読が甘いというのも先端的なやり方であるかもしれません。

 

招待メール多すぎと利益追求の意図

また、MDPI社の雑誌の特徴として、フィッシングのように、招待メールを送りつけてくるという問題があります。これもしばしば批判されることです。一方で、特集号で論文を募集しているということを、どのように研究者に伝えるのか、ということから、他にどのような手段があるのか、と考えると、他の宣伝方法はなかなか考えにくいので、ある程度仕方のない面もあるとは思います。わたしのように多量の電子メール(ほとんどがジャンク)を受信するのが日常的な研究者もいますが、一方で電子メールをほとんど受信しないという「クリーン」な状態にしておきたいという研究者も未だに存在していると思います。

 MDPIもそうですが、最近の多くの雑誌では、投稿者を増やすために、特集Special Issueなどと称して、経験ある研究者を利用して論文を集めるという仕組みも作っています。この記事にもあるように、こういう特集を行うと、待つだけの通常投稿より、質の高い論文を集めやすいようです。ただ上にも書いたように、IJMSの場合は、この特集の組み方が、研究コミュニティの構築という学術的な意図ではなく、単なる論文数集めというような利益追求の意図が強いと私は感じています。

 

PMC(PubMed Central)に全文収録される

現在、私は編集に関わると無料で論文を掲載してもらえるので、総説論文ならブログを書くような気持ちで書けばよいのではないか、という感じで加担しています。査読に疑問があるので、データを出すような論文は出したくないとは思っています。

 揮発性のブログと違うのは、多くの研究者が論文を出している雑誌の一部なので、おそらく人類の文明が滅亡するまで未来に残る可能性が高いだろうということです。IJMSの場合、IJMSのオリジナルサイトだけでなく、米国の国立医学図書館のPMC(PubMed Central)でも全文が収録されているので、きっちりとアーカイブはされています。いわゆる本当の捕食雑誌はPMCに収録されることはないです。また、オープンアクセスではないマイナー雑誌では、PubMedにアブストラクトは収録されてもPMCに全文が収録されないものも多いです。

 

まとめ

多くの研究者に、論文はインパクトファクターがそれなりに高く、掲載料の安い雑誌に、速く楽にアクセプトされるのがよい、という願望はあると思います。もちろん、掲載料が高く、アクセプトされるのが非常に難しいのが良いという価値観もあるでしょう(ネイチャー誌でオープンアクセスとした場合のAPCは、120万円)。IJMSはそのために独特な査読システムを進化させてきた雑誌といえるのではないでしょうか。研究の価値は掲載誌で決まるのではなく、出版後の評価(Post-publication peer review (PPPR) )によって決まるべきであるという考えからは、査読が甘いというのも先端的なやり方であるかもしれません。宣伝的行為をやりすぎるのも、宣伝する方法が他にないという事情もあります。発表論文はPMCに全文が収録されており、きっちりとアーカイブされているので、ゴミのように消えていくものでもないと思われます。このような価値観を受け入れることができるのなら、上手く使い倒すというつもりで、「捕食的?」と感じる出版社が作ったプラットフォームを研究者が利用するのもありなのかもしれません(一方で、利用するのを断固拒否するという価値観もあってよいと思います)。