神経科学研究者のブログです。科学、教育などに関する雑多な私見、主張など。
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公的組織はインパクトファクターを利用するな

9月になって、「ライフサイエンス新着論文レビュー」(http://first.lifesciencedb.jp/)という日本語論文紹介サイトが、そこで紹介する論文の対象とする学術誌について、「Developmental Cell(Elsevier)」を削除するというアナウンスを見かけました。気になりましたので、Twitterhttps://twitter.com/first_author)でその理由を尋ねてみました。

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ライフサイエンス新着論文レビューとインパクトファクター
「ライフサイエンス新着論文レビュー」というのは、大学共同利用機関法人 情報・システム研究機構 ライフサイエンス統合データベースセンター に編集室が設置され、運営されているものです。「日本語コンテンツのひとつとして,Nature,Science,Cell などに代表されるトップジャーナルに掲載された日本人を著者とする生命科学分野の論文について,論文の著者自身の執筆による,専門分野の異なる生命科学研究者にむけた日本語によるレビューを,だれでも自由に閲覧・利用できるようWeb上にていち早く無料で公開するものです.」ということです。

具体的には、その対象雑誌は、「Nature 誌およびその生命科学系姉妹誌(Nature Biotechnology,Nature Cell Biology,Nature Chemical Biology,Nature Genetics,Nature Immunology,Nature Medicine ,Nature Methods,Nature Neuroscience,Nature Structural & Molecular Biology),Science 誌およびScience Translational Medicine 誌,Cell 誌およびその姉妹誌(Cancer Cell,Cell Host & Microbe,Cell Metabolism,Cell Stem Cell,Molecular Cell,Immunity,Neuron)の20誌(インパクトファクターが10以上で,おおむね,生命科学系ジャーナルのトップ20にあたる)」ということになっています。

このサイトの目的は、私にもよく理解できますし、 若い優秀な研究者を発掘して、紹介しようという趣旨であるということなのだと、思います。こういうところで見かける若手の研究者が、ポストを得たり、さきがけなどの研究費を得たりするのでしょう。このことについては、全く問題がないし、やるべきでしょう。ちなみに、私は若手研究者ではありませんが、昨年、執筆しました。
http://first.lifesciencedb.jp/archives/10478

特に、日本では、 高度な科学的な内容を知りたいというような一般の方、また異分野の科学者の方になると、英語の専門論文というのはほとんど見る機会がない。日本語にしてあると、そういうものを流し読みでも目を通したりする機会ができる。つまり、科学コミュニケーションや異分野交流の推進という意味からも、大切なプロジェクトであると思うのです。(日本語の文章など意味がないという研究者の方もしばしばいますが、こういう方々も日本国民に税金の使い道を説明するべきです。)

「新着論文レビュー」で紹介する論文は「インパクトファクター」が10以上の雑誌であるということになっている。 これも、編集者の方が1人とか、少なくて、大変ご多忙であるので、多くの論文を扱いきれない。これが、対象とする雑誌を何らかの基準で絞らざるをえない理由であるというのも、理解できます。

しかし、私は、このような公的なプロジェクトにおいて、インパクトファクターの利用をしてしまうということが問題であると思うわけです。つまり、もっとくだけた表現を使えば、Developemental Cellという雑誌のIFが、10を切るようになったので、こういうのは「ダメ雑誌」とみなすということらしい。IFの問題については、いろいろなところで議論されている。どんなものかを知った上で、おそらく心の中での目安として利用するのはあまり問題はないと思います。ところが、公式に、「10未満のものは足切りのようにダメと判断する」ということを、こういうもので宣言してしまうのは止めるべきなのでは、というのが私の議論なのです。


DORAという宣言
米国でも、サンフランシスコの研究者や米国細胞生物学会がインパクトファクターなどによる研究評価の問題点を指摘し、改善を要望したDORA(Declaration on Research Assessment)という宣言がある。
http://www.ascb.org/dora/

•The need to eliminate the use of journal-based metrics, such as Journal Impact Factors, in funding, appointment, and promotion considerations;
インパクトファクターを、ファンディング、アポイントメント、昇進に利用するのはやめる )

•The need to assess research on its own merits rather than on the basis of the journal in which the research is published; and(その研究がどの雑誌に出版されたということではなく、その価値そのもので評価する )

•The need to capitalize on the opportunities provided by online publication (such as relaxing unnecessary limits on the number of words, figures, and references in articles, and exploring new indicators of significance and impact).(オンライン出版の機会を促進する必要性)


このような観点から、例えば数年前にできたeLifeというような雑誌は、「we want to kill the journal impact factor(インパクトファクターを殺してしまいたい)」と宣言しているわけです。
https://en.wikipedia.org/wiki/ELife
例えば、一般に、名のある有力研究者に多くの被引用が期待される総説を書いてもらい、それを例年、1,2月といった早い時期に掲載すると、その学術誌のインパクトファクターが上昇するというというようなManipulationができるというのはよく知られていて、Elsevierの雑誌などはそれを盛んに利用している。総説を掲載しないような学術誌ですと、インパクトファクターは低くなるでしょう。

日本でも、上のDORAの宣言に日本の細胞生物学会が署名していたりします。また、神経科学学会のサイトでは、「インパクトファクター至上主義からの脱却のために」という宮川剛さん(藤田保健衛生大学)の文章を掲載しています。
http://www.jnss.org/opinion/
「IFの高い権威あるジャーナルに成果を発表するためにかかるコストの大きさと、すべての評価をジャーナル IF に頼りすぎること のデメリットも世界的に認識されつつあります。」


どうするべきなのか
おそらく見識のある研究者ですと、こういうのはやはり慎重に行うでしょう。もちろん、例えば、九州大学の某研究所のように、その研究者公募に、インパクトファクターを書かせたりするようなことを公然とやっているような機関があったりするということもありますので、研究者側にも問題があることは事実なのでしょう(一部の研究者は依然として、インパクトファクター第一主義)。科学者側でも、例えば、インパクトファクターの高い雑誌に研究を発表したからといって、それを材料にポストを得たりするのを控えるというような高い倫理観を持つことも可能であると思うのです。

一方で、もう一つの問題は、科学者でない文科省官僚などが、10未満はダメ雑誌だと決めつけて、勝手にそれでお金を配分したり、しなかったりする。こういうのは、やはりあるべき姿ではない。日本の場合は、実はこういう状況というのが、いろいろなところにあるのではないか。つまり、科学研究の素人である役人が、数字になっていて使い易いから、それを使って勝手に科学を評価してしまうというようなことです。それに基づいて施策をおこなう。科学研究者は、こういうことを正すべきであると、私は思うのです。科学研究の評価は科学者自身が行うべきではないでしょうか。科学者が正しいと判断したことに予算を回すべきであって、役人や政治家が勝手に決めてはいけないということです。

最後に、私が、科学コミュニケーションの観点や異分野交流の立場で、日本で作ってみたら面白いと思うのは、日本語による自分の論文紹介の場のようなサイトです。基本的に科学研究者が誰でも自分の英語論文を紹介できるサイトにして、現在、大学などがプレスリリースなどで個別に公開しているようなものを一か所に集める。新聞発表したような内容は、そこを見れば背景や元論文の内容がもう少し詳しくわかるようにしておく。もちろん、元論文等へのリンクもつける。なぜ、日本語でやるべきか、というのは、一般の人や異分野の人でも見れるようにするということです。分野別にタグをつけて分類するというような形で、整理することも可能でしょう。私個人としては、多様な分野の論文の内容を見てみたいという希望があります(インパクトファクターを指標にしたら、例えば免疫学の分野の論文が多くなって、植物科学のような分野は少なくなるというバイアスがかかる)。おそらく、公的な組織が支援するべきことは、こういうことではないか、と私は思うのです。ただ、「ライフサイエンス 新着論文レビュー」のように、質をどのように保つのか、というのは難問なのかもしれません。